寒風とともに入ってきた2人組は、店内を見回すと残念そうに肩をすくめて、また、冬の街へと戻っていった。
平日の夜8時。
どこにでもあるチェーンのカフェの店内は混んでいた。

コーヒー豆の収穫から焙煎までを描いた素朴なイラストが壁一面を飾っている店の奥では、コーヒーの淹れ方教室をやっているようで、黒いエプロンをしたスタッフが、小さなカップが並んだ大テーブルを囲む6人ほどの人々に手振り身振りでにこやかに話しかけている。
スーツ姿の男性が小さなカップの中身を飲み干して、何かスタッフに尋ねている。
その左の若い女性は小さなパールの粒の付いたベージュのネイルをきれいに施した両手で包み込むようにカップを持って、そっと香りを楽しんでいる。
その女性のさらに左側の遠慮がちに背を丸くしてテーブルの隅で、男性とスタッフの会話を聞きながら、神妙にふんふんとうなずいている。

カウンターで注文した商品が出てくるのを待っている男性は、襟を立てた革のブルゾンと同じような浅黒い肌に濃い眉毛。南米の顔だが、流暢な日本語でバリスタに話しかけて、弾けるような笑い声と一緒にカップを受け取ると、店の中央に並んだソファ席にいる若い学生らしき男性の元へ。日本人とおぼしき彼とは英語で会話をはじめた。時々、学生さんが「ah〜・・・」と行き詰まると、ニッコリ笑いながら、慌てないでというように、やさしくテーブルの端を押さえるようなしぐさをする。

一面のイラストが描かれている壁と向かい合う壁には小さな棚があり、ブラウンやゴールドのコーヒー豆の袋と、季節商品らしき桜色のカップやタンブラーが並んでいる。外は厳しい寒さだが、店内には一足早く春がやってきている。
若いカップルが桜色のタンブラーを手にとって、何か早口で相談している。良く聞くと中国語らしい。春節を利用して観光に来ているのかもしれない。おみやげだろうか。

そういえば、以前、同じチェーン店で隣に台湾人のツアーグループが座り、その中の一人の男性に、スイカ柄のタンブラーでカフェラテを飲んでいた私に、どこでそのタンブラーは手に入るのかとたどたどしい日本語で聞かれた。これは期間限定のもので今は手にはいらないのだと答えると、残念そうな表情で、台湾にいる友人たちに日本限定のタンブラーをお土産にするのだと話した。名古屋限定のタンブラーなら金のシャチホコがモチーフだから喜ばれるかもしれないと思い、タンブラーの棚に案内して教えると、とても喜んでいた。どうやら日本語が話せるのはそのおじさん一人らしく、私の言葉をグループのみんなに通訳しては、ちょっと得意げな顔をするのが微笑ましい。
最後には、今までに購入したタンブラーのおまけの無料クーポン券を、日本にいる間に飲みきれないからと、何枚もくれた。帰りのスーツケースにはぎっしりと色んなタンブラーが詰まっていたことだろう。

入り口を挟んだガラス張りの壁は、半分がプライベート感があるソファ席。半分はカウンターとなっていて、カウンターにはパソコンや本を広げた人々が並んでいる。カウンターには親切にもコンセントもついていて、お店公認ともいえる学習スペースとなっている。学生らしき人も社会人らしき人も、黙々とパソコンや本に目を向けたまま、時々コーヒーカップに手を伸ばす。カップに口をつける時、少しだけ空気が緩む。そういう効果がコーヒーにはある。

カウンター席の人々が前のめりな姿勢であるのに対して、一人用のソファが並ぶもう半分のエリアの人々は深々とソファに背をあずけて、重心は後ろにある。
首だけを前に傾けてスマートフォンの画面を見つめている女の子のソファの肘掛けには、モコモコのファーコートが投げかけられている。小柄な子がそのコートを着たら、かわいいこぐまちゃんみたいになりそうだ。
隣に座るシルバーグレイの髪をきっちりとなでつけた男性は、肩に馴染んだスーツにウールのスカーフをふわりとかけていて、洒落たリーディンググラスを時折指先で抑えながら本を読んでいる。しかし、その手は厚みがあり、指先はぷっくりと丸く、なめし革のような皮膚の風合いは、長く手でものを作ってきた人のように見える。現場から叩き上げでのし上がり、今はデスクで部下に睨みを効かせている、そんな歴史を想像してしまう手だ。

そして、私は夜の街を眺めるふりをしながら、暗いガラスに映る店内をこっそりスケッチする。

 

カツン。
小さな音が丸い窓の外から聞こえたような気がした。
巨大な潜水艇の分厚い窓に何かが当たったとしても、音なんか聞こえるはずはないのだけれど。
丸い窓におでこを付けて覗きこむと、ただ海底の暗闇を鏡として、ぼんやりとした自分の顔が映っているだけで、泡とも塵ともつかぬ白い粒がゆっくりと流れていく。

地上と海上は「静かな戦闘サイレント バトル」と呼ばれる第3次世界大戦の負の遺産が支配している。

「ヒイ爺さんから聞いてた戦争と、実際の戦争は随分違ってたよ。」
地上生活の経験があるという大叔父が話していた。
「ヒイ爺さんの話では、戦争は空を飛ぶ戦闘機と地上を走る戦車から、爆音とともにミサイルがビュンビュン飛んでくるということだったが、「静かな戦闘サイレント バトル」では、遠い宇宙空間に浮かぶ各国の「ステーション」から、音もなく、青白い光線がヒトに向かって降ってきて、ジッという小さな音と一瞬の閃光と共に、あっと思うまもなくヒトが消えてしまう。問答無用の恐ろしい戦争だよ。」
大叔父が「静かな戦闘サイレント バトル」のことを語る時、指先が小さく震えていた。
「誰が光線を発射してるの?」
「ステーションにいる『解析者アナリスト』さ。ヒトの行動やつながりをして『敵対度エナミー レート』を計算するんだ。自国の解析者が認定したレートと、敵国の解析者が認定したレートは、もちろんまったく異なるレートになるが、それをさらに『国際連合ステーション』にいる『認定解析者』が解析して最終的なレートが決まる。ヒトの行動やつながりは日々変わるから、敵対度エナミー レートも日々刻々変動する。」
「まったく、頭のいい連中ってのは、昔っからろくなもんを作らないよ。」
大叔父の震える指先を、ふっくらとした両手で包みこむように握りながら、祖母が強い語調で言う。噂では祖母は伝説のレジスタンスと呼ばれたチームで、この巨大な潜水艇の設計を担当していたというが、ホントかどうかは知らない。
「そのうち、役に立つ人間かどうか、有用性もポイント化しろ、平等、公平、多様性、そういうのもポイント化しろってね。
で、結局、解析者たちが作った修正プログラムを起動させたら、なんと、ヒトというヒトを皆殺しにしはじめたのさ。」

「いっそ、美しい光景だったねぇ。」
「ああ、流星群みたいだったな。」
祖母と大叔父は、潜水艇の天窓を見上げて、少しばかりうっとりした表情を目に浮かべていた。
「りゅーせーぐん?」
「時々、浅い海に上がると、銀色の魚の大群がものすごい速さで泳いでいくだろう?銀色の線が何万と走っていくように、青い光の千が空から降ってくるのさ。」
「ふーん。」
ほんとのところ、空というものを知らない僕にはうまく想像できないのだけれど。

チッ・・・ジジッ・・・

また丸窓の外で音がした。
祖母も大叔父もハッと窓の外に視線を向けたから、気のせいじゃない。

丸窓の外の深海の闇の奥から、小さな青い光がゆらりと近づいてくる。
窓を覗きこむようにリュウグウノツカイのような細長い魚が近づいてきて、青い光を発しながらうねる背びれの先が窓にぶつかると、微かな音を発した。

「もしかして・・・」
祖母がその小さな魚を凝視しながら、つぶやく。

その魚の後方に広がる闇の奥から、無数の青い光が近づいてくるのが見える。
ふわふわ浮かぶ泡とも塵ともつかぬ白い粒も、青い光を反射して瞬いている。

「おばあちゃん、これがりゅーせーぐんってやつなの?きれいだけど、なんだか怖いよ。」

カツーン。
ひときわ高い音が響いて、丸窓に小さな砂粒のような傷がつくのが見えた。

「まずいよ。噂はホントだったんだ。宇宙からの光線のエネルギーを貯めこむことのできる魚がいるって。」
祖母の手も大叔父の手も大きく震えている。
「坊、上に行って、防御ネットを被せるように伝えるんだ!」
「うん、分かった!」

きれいに磨かれてはいるけど古びた階段を段飛ばしで駆け上がって、巨大な天窓を持つ最上部の中央司令室センターにたどり着いた時、青い光は数えきれないほどの数に増えていて、その圧倒的な美しさに麻痺したようになって、大叔父の司令を伝えることも忘れてしまいそうだった。

「ぼ、防御ネットだって!」

凍りついたように静止していた中央司令室センターの大人たちが、僕の声でキビキビと動き始め、潜水艇のあちこちにある小さな穴からゼリー状の細い糸のようなものが吐き出され、細かい網目となり、船を包み込み始めた。

「危なかったねぇ。まさか噂がほんとだったなんてね。」
「どのくらいの数がいるんだろう」
ゆっくりと階段を登ってきた祖母が、中央司令室センターの大人たちと青く光る魚について、興奮しながら話している。
僕は地下にいる大叔父が気になったけれど、天窓いっぱいに広がる青い光のショーから目を離せないでいた。小さいころ、ホロシネマで見たタイムマシンって乗り物が、こんな光のトンネルを抜けて、過去や未来、時間の流れの中を行き来していた。

もしかしたら、この青い魚は未来からの使者なんじゃない?
暗い暗い海底で息を潜めるようにして生きている時代が、もうすぐ終わるのだと伝えに来たのかもしれない。
丸い窓も大きな天窓も開け放して、空ってやつを眺めることのできる日がやってくるのかも!

よし、大叔父に僕の予測を言ってやろう。
そうすれば、手の震えも治まるさ!

青い光でほんのり薄明るくなった階段を、少年は軽やかに降りていく。

若葉色に染まった山の中。
くるりくるりと渦巻きになったワラビが、杉の若木の間にすっくすっくとたくさん伸びている。
小さな手でポキポキ折って、夢中になって山の斜面をどんどん上がっていく。
ふっと横切った影につられて空を見上げると、大きな鳶がゆっくりと円を描いていた。

早蕨さわらびのように幼い女の子。
我に返り、足を止めると、急な勾配こうばいの斜面のずいぶんな高さのある場所で、両親の姿も弟の姿も見えない。
「おとーさーん・・・おかあさーん・・・」
大声で呼んでみても返事はない。山の連なりにこだますることもなく、空に吸い込まれるように心細く呼び声は消えていく。

ソロリソロリと斜面を横歩き。滑りかけて杉の若木のあおい葉っぱに掴まったものの、頼りない若葉は枝を離れて女の子と一緒に斜面を滑り落ちた。

細い山道の曲がり角まで落ちて、途中にトゲトゲの茨の茂みやささくれだった切り株がなくて幸いだったけれど、肘をおおきく擦りむいた。
心細いのと痛いのと。
泣きたくなって、ひっとシャクリ上げた。涙と泣き声が出そうになったその時、

ずぅーーーーーーん、ずぅーーーーーーん

遠くで山が鳴った。

ずぅーーーーーーん、ずぅーーーーーーん

近づいてくる。

ごぉーーーおぉーーーーごぉーーーーー

風があるわけでもないのに、空も低く唸りはじめ、びっくりして涙も声も止まった。

さぁっと陽が陰り、何か、大きな気配に包まれた。
見えないけれど、何か大きなものが、ここに在る。
目に見えないけれど、何かが満ちていると感じる。

ピリピリと腕の産毛が逆だっていくけれど、おばけが怖いのとはちょっとちがう感覚。
まだ学校で習っていないから言葉にはできないけれど、それは、畏怖いふというべきものだった。

ずぅーーーーーーん、ごぉーーーーー

大きなものに満ちた空気がかすかに震えながら、山を鳴らし、空を鳴らしている。

じっと竦んでいた彼女の胸に、ふっと「おそなえ」という言葉が浮かんだ。
おばあちゃんが、神さまにお供えするといいことがあると言っていた。
そわそわと、黄色のパーカーのポケットを探る。さっき、吊り橋を渡ったところにある大きな岩にきれいな水晶の結晶がたくさんついていたのを見つけて、いくつか削って採ったのが入っている。
キラキラとした剣のような形の結晶を手のひらに乗せると、

「神さま、おそなえー!!!」

叫んで空に放った。

まわりの空気がぞわ~んと動いて、水晶のかけらが空に向かって上がっていく。
陽が差してきて、小さな粒はキラキラと輝きながら、空の高みへと昇っていく。
キラキラはあっというまに見えなくなり、そして、気がついたら、大きくて満ち足りたものの気配は消えていた。

「おーい、ひな子ー」
「おねーちゃーん。もう行くよー。」
「ひなちゃーん、どこにおるのー」

お父さんとお母さんと弟の声が曲道の奥から聞こえてきた。

家に帰って、ワラビの袋を広げたら、大きなタラの芽が4つ入ってた。