くちなし

朝からの梅雨の初めの雨が止み、湿気を含んだ青い薄闇がビルの谷間に溜まり始めた夕刻の街。
ふっと微かに甘い香りが、客先から帰る私の足を止めさせた。
隣のビルにもたれかかるように建っている、木の格子窓が今どき珍しい木造の小さな町家の軒先のわずかな植え込みに、白い花が一輪咲きかけていた。
くるくると紙を巻いて、わずかに緩めて開いたような白い花は、可憐な見た目よりも濃厚な重い香りで存在を主張していた。何という花だったか・・・

昔付き合っていた女に教えられたことがあったような気もするが、とっくに別れて花の名前も忘れた。何人かと付き合ったのちに、お互いに都合が良かったというような風で結婚した妻は、私が営む小さなコンサル会社の経理や企画書の清書といったような仕事を担当し、家庭でも栄養価をきちんと計算した食事を作ったり、生活感がまるで感じられないくらい隅々まで整理整頓したりといった、およそ実用的なことには長けていたが、花を飾るような情緒的な面はまったく持たぬ女であった。
私自身も情緒的な面を持ち合わせぬし、女だからといって情緒的な面を持たねばならぬとは思わないので、似合いの夫婦なんだろう。

そんな私が花の香りになぜ足を止めたのか・・・

ぼんやりと一輪の花を眺めて立っていると、ぽっと玄関先の灯りが灯った。
これも今どき見かけないような引き戸の細かく縦に仕切られた木枠に嵌められた梨地の型ガラスの奥に、人の動く気配を感じて、慌てて歩き出す。
ちょっと行ったところで振り向くと、丸い灯りの下、白いワンピースを着た女が、目鼻立ちははっきりとはしないが妙に白く浮き出たような顔をこちらに向けて立っていた。

翌日、昨日訪問した客先を今度は昼間に訪れる途中、あの白い花の咲く木造家屋の前を通りかかった。
昼間に見ると、白い花の丈の低い木には、グリーンのつぼみがいくつも螺旋を描いていた。ビルの谷間を縫って、スポットライトのように直射日光が細く輝く部分に、昨夜の一輪の花が眩しく輝いていた。夜ほどには香りは強くないように感じた。

さらに5日後の宵時、また、あの白い花の咲く家の前を通りかかった。
最寄り駅は同じだが、少し離れた別の客先を訪ねた帰りに、わざわざ回り道をしたのだった。
最初の青い宵闇の中で嗅いだ濃い花の香りが忘れられなかった。
碧い螺旋を描いていたつぼみも一斉に花開き、あの夕べの清楚なイメージとは異なり、宵闇の中でも華やかに咲き誇っていた。辺りは噎せ返るような濃い香りで満たされていた。

存分に甘い香りを吸い込んで、ふっと視線を感じて横を向くと、引き戸から女が出てくるところだった。
あの夜と同じような白いストンと細いワンピースを着ているが、胸や腰の辺りは肉感的な身体の線を拾ってはりつめている。
最初の宵時には浮き出るように白く見えた肌は、今、近くで見ると、客先で自慢された中国の古い磁器のようなあたたかみのある白さだった。ワンピースから覗く手足も同じような白さなので、もともと色白なのだろう。
二重の大きな目の端とぷっくりとふくらんだ小さな唇にかすかな笑みを刻んでいるが、それは冷笑とも採れるような奇妙に冷たい笑みだった。

不審者と思われたのか。
ついドギマギとした気持ちに襲われて、マヌケな質問をしてしまっていた。
「こ、この花、なんて名前ですか。」
女は冷たい笑みをほぐすように、くすりと笑うと、
「くちなしよ。花が終わるとつぼみと同じような細長いカタチの赤い実がなるの。」
「そうですか。良い香りですね。実は食べられるんですか。」
「そのまま食べれやしないけど、栗きんとんなんかの黄色の色付けに使えるのよ。」
女も心なしか上ずったような声で答えた。

一瞬、二人の間に、わずかな沈黙の間ができた。

その沈黙を吹き消すように、女が語りかけてくる。
「あなた、少し前の夕方にもこのくちなしを見てたでしょう?
私、暗いところでも目が利くのよ。あの晩の人だってすぐわかったわ。」
心なしか、先ほどよりも語尾に甘い響きが宿っている。
急速に宵の闇は濃くなり、女の白さがますます際立っている。
「ね、この花の香りが好きなんでしょう。裏庭にはもっと大きなくちなしの木があるの。八重の大きな花で、香りもずっと良いのよ。よかったら見ていってよ。」
見ていってよという言葉の語尾には、明らかに媚る調子が混じっていた。
「でも・・・」
「いいのよ。ひとりで住んでるから気兼ねする人もいないし。」
こんな風に誘う女がまともとは思えない。
頭の奥で警告する声が聞こえる。
だが、くるりと私の腕に巻き付いた女の腕を、なぜか引き剥がすことができず、黙って女と家に入った。
背後であの宵と同じ、カラリと乾いた引き戸の音がした。

女の家はどこもかしこもくちなしの香りで満たされていた。
玄関のたたきの先にある襖を開けると、八畳ほどの畳の部屋の向こう、開け放されたガラス戸の先に、確かに大きなくちなしの木があった。
闇の中でも十分に華やかに花開いているのが分かる大きな花が、びっしりと咲いている。

「来て。もっと近くで見ましょう。」
囁くような声で女が誘う。その声にも、やわらかく私を拘束する腕にも、くちなしの香りが染み込んでいるように感じる。靴を脱いで上がり込み、ガラス戸の前まで進み、女に手を引かれて座り込み、ぼんやりと闇の中の花を見つめる。
肩に寄りかかるような重みを感じ、女の白い手が私の頬に手をかけようとしたその瞬間。
思いがけず、梅雨時の厚みのある雲が途切れて、月の光がその大きなくちなしの木を照らした。
闇の中では白く見えた大輪の花々は、月光のもと、黄ばんで端はよじれ、盛りを過ぎた醜態を晒していた。甘いと感じていた香りの中に、土の上に落ちて腐った果物が放つ腐臭が混じったように感じた。
顔を近づけてきた女の口から漏れた甘い吐息の中にも、饐えた腐臭を感じ、不意に吐き気に襲われ、逃げるように女の家から逃げ出した。

くちなしの家から逃げるように帰ってきた自宅のマンションの前で、はぁっと吐息を漏らして空を見上げた。清潔さと冷たさを感じさせる青白い外壁が月の光を弾いている。
その上階にある、妻がいつもミニマムに整えていてくれる我が家の窓に灯る明かりにほっとする。

「ただいま。」
小さなうしろめたさを感じて、妙に明るい声で帰宅の挨拶をしながら、白い扉を開けた。
白い鏡面仕上げの棚に、クリアなガラスの一輪挿しにくちなしの花が一輪。

ついぞ花など飾ったことのない妻が、何を想ってこの花を置いたのか・・・

鼻腔の奥にあの濃厚な香りが満ちてきて、激しく咳き込む私を、奥から出てきた妻が冷たく見つめている。

錦湯

銭湯に入ることを覚えたのは、20代半ばに金沢に住んでからのことである。

私が育った地は、現代いまでは、山を切り崩して建てられた細々こまごまとした住宅と点々と無節操に立ち上がるマンションの間に、僅かな田畑が残り、その残った田畑でさえも休耕田が目につく典型的な地方のベッドタウンであるが、子供の頃は広々と田畑が広がる農業地域であったから、銭湯というものがなかった。

金沢では、小さな山の中腹に古い一軒家を借りて住んでいて、山を下ると昔は遊郭が立ち並んでいたというお茶屋街があった。その茶屋街の一角にある小さいが清潔な銭湯が、私のはじめての銭湯体験だった。
古い一軒家ゆえ、水廻りは近代的な設備に比べれば不便もあり、冬の風呂場の寒さは身に沁みる。寒い中、山をおりるのもおっくうなようであるが、それでも無性にこの銭湯に出かけたくなることがあった。夏は夏で、銭湯に入って、夕べの風に誘われて浅野川の川べりを散歩するのを楽しみに、ぶらぶらと山を下りていった。
北陸新幹線が開通して、この茶屋街も随分と賑やかな観光地となっているようだが、その頃は、観光客もさほど多くはなく、しっとりと落ち着きのある街の、夏の薄青い夕暮れの細い路地を歩いていると、ツトツン、ツト、ツン、と三味線の音色がどこからともなく聞こえてきたりした。
そんな場所の銭湯だからか、若干の皺こそあれど、若い頃はさぞかしきれいな芸妓だったのだろうと妄想してしまうような、真っ白ですべらかで触れてみたくなるようなきれいな肌のおばあさんがいたりした。脱衣場でご近所のおばさん、おばあさんが話をしていても、やわらかでのんびりした響きの金沢弁だからか、騒がしさを感じたことはない。時折、密やかな囁きがふんわり響く静かな銭湯だった。

金沢の次に移り住んだのは「せともの」の瀬戸市で、谷間を細く流れる瀬戸川に沿って小さな製陶所と家々が入り混じって立ち並ぶ。
金沢も瀬戸も有名なやきもの産地であるが、おもむきはずいぶんと異なる。九谷焼が有名な金沢のやきものは、茶事の盛んな土地柄や加賀100万石のプライドゆえか、芸術文化の色が濃いように思う。
まあ、型ものの大量生産品だって作っていたわけなので、逆に産業としての焼き物が衰退して、芸術文化としての焼き物が残ったということであるかもしれないが。
対して、瀬戸のやきものは、陶器の代名詞になるほど普及した大量生産品の流れからか、産業としての色が濃く、やきものづくりも分業制で、いわば、職人の町であったようだ。
古い時代を知る人から聴いた話では、給料日は月に2回あり、宵越しの金は持たんというような職人も多くいたらしい。
そんな職人たちが、陶土や釉の汚れを落としたり、窯焚きの煤や汗を流したりする銭湯があちこちにあったようだ。私が住んでいた頃は、いわゆる「せともの」づくりとしての陶磁器産業が、工場の大量生産品や中国の輸入陶器などの安物に押されて、すでに斜陽とも言える状態だったため、銭湯もずいぶん減ってしまったようだが、町の銭湯が数軒残っていて、私も近所の、それでもちょっと前にリニューアルしたという小さな銭湯に時折かりにいった。
小さいながらも電気風呂やら泡風呂、サウナもあって、週末は小さな子どもを連れた家族も多かった。おばあさん、その娘と思われるおばさん、そして幼い孫。顔つきも身体つきもそっくりな三世代の女たちが洗い場に並んでいるという微笑ましい光景もあって、にぎやかな銭湯も悪くなかった。

その後、実家に戻ってからは、銭湯に通うことも久しくなかったが、この間、平日一週間京都に滞在するという贅沢な旅時間を持つことができて、「住むように旅する」という旅の目的どおり、そのうちの3日ほどは町の銭湯に浸かることができた。特に気に入ったのは、夜遅くまで観光客で賑わう錦市場近く、四条の通りからほんの少し入ったところに、物珍しくも懐かしいような、昔ながらの銭湯で、男女別にわかれた入り口に掛けられた、紺の「男」と赤の「女」の暖簾のれんもキッパリと清々すがすがしい。
脱衣場の木製の棚には、常連さんの名入りの柳行李が並び、なんだか宮崎駿のアニメの世界に入り込んだようだった。浴室の入り口には黄色の定番のケロリンではなく、色柄様々なプラスティックの洗い桶が積まれていて、住むように旅するといったところで、こんな銭湯では明らかに余所者よそものな私が、洗い桶も常連さん用なのだろうかと思いあぐねていたら、風呂あがりのおしゃべりを楽しんでいたおばあさんたちが、「どれでも好きなのつこうてええよ」とはんなりした口調で教えてくれた。
時間が早いのか遅いのか、浴室は貸切状態で、数種の風呂をどれも試して堪能し、風呂あがりの脱衣場でぽーっとして、春のおだやかな夜風に吹かれて歩きながら、美味しそうな町家のレストランの灯りを眺めて、明日の夜はここで食事しようと目星をつけながら、宿に戻ってパタンと寝た。

スーパー銭湯も楽しいものだけれど、土地の銭湯も巡ってみると、その土地の豊かな素顔を覗くことができて楽しい。